嫁姑戦争vol.1これは今となっては懐かしい、我が家の最大にして唯一の嫁姑戦争の記録です。 それまで、多少の小競り合いはあったけれど、 まぁそれはお互いに譲ったり、我慢したりでなんとかやり過ごせていた。 義父はもうどうしようもないほど大嫌い(まだできてないけど地獄の黙示録参照)だったが、 義母とはまぁ普通の関係だった。 でも、自分でも自覚はなかったかもしれないけど、 ちょっとしたことの積み重ねは、 間違いなくあったと思う。 ストレスは、ついに出口を見つけたのだ。 それは、2004年3月。 実家の母は、息子が生まれたことに大喜びして初節句にはこいのぼりを買う、と張り切っていた。 入院中から言っていたのだけど、里帰りが終わった頃に やっぱりお飾りを買ってあげたいと主張を翻した。 丁度義父がこいのぼりを買ってやりたいと言い出したときだったから、 あっさり実家ではお飾り、家ではこいのぼりと決着がついた。 なのに、2、3日後に義母がお飾りも買ってやりたいと言いだしやがったのだ。 義家族は、一度納得して了承したくせに、「やっぱり・・・」ということがすごく多いのだ。 私は「一度言ったことは守る」という家庭に育ったから、 そういうのがすごく嫌だった。 一度納得するフリをしていい人のフリをしているだけだと思えてしまうのだ。 またかよ、と即臨戦態勢に入った私の気配を察して相方が 「だってあの時爺さんと婆さんでウチはこいのぼりがいいって言ったでしょ? 両方なんて無理だよ。 △(私)のお母さんだって、初孫なんだから買ってあげたいって言う気持ちがあるの、 同じ立場なんだからわかるだろ?」 で事なきを得たのだが、その後もう一度同じ事があった。 母は、最初は子供が喜ぶ→こいのぼり、と思っていたらしいのだが、 叔母からこいのぼりは7年位するともうボロボロになるから、 いつまでも綺麗に取っておけるお飾りを買ってやったほうが良いという アドバイスを貰って、最もだ、と思ったそうな。 義母も、その事に気がついてやっぱりお飾り、と言い出したらしいのだが、 結局は考えなしの義父が「こいのぼりって言ったんだからこいのぼりだ!!」と 珍しくイイ事言ってくれたので、やっと無事解決した。 実母だって裕福な生活をしているわけではないのに、 息子のために立派な兜飾りを買ってくれた。 何度か一緒に見に行ったのだけど、 結局「兜飾り」で(人形がどうしても嫌だったの)、母に一任することになったのだ。 母は仕事の合間に色々見てくれて、 やっとこれだ、というのにめぐり合えたそうで、購入して、配送の手続きをとってくれた。 たまたま、配送の日に、私達一家は実家に泊りに来ていた。 そこに、家から電話がきた。 義母:「お母さん(実母の事)にお礼を言わないといけないから電話したんだけど、 今(実母の仕事場に)電話かけてもいいかしらね。」 私:「はぁ?汚義母さんがお礼を言う筋合いはないですよ。 母はSilverに買ってくれたんだし、子供の親である私達がキチンとお礼は言ってるから。」 義母:「でも、買ってもらったら御礼を・・・。」 私:「だから、汚義母さんに買ったんじゃないんですってば。 母はSilverに買ってくれたんです。」 電話では、ものすごく険悪になったけど、 とにかく切った。 なんのつもりで母にお礼を、なんて考えたのだろう。 確かに効果なものだけど、義母がお礼を言う理由なんて、一ミクロンも見つけられない。 だって、Silverは母にとっても目に入れても痛くない、初孫なのだ。 電話を横で聞いていた相方に、義母の主張と私の主張を言ったら、 相方は、義母はそこまで深く考えていない(甘いよ)。 お礼が言いたいならいわせればいいじゃないか。 と言いやがった。 それを言われた母が、どれだけ傷つくかわからないのだろうか。 私は誰がなんと言おうが、直感したのだ。 それは、義母のSilverはウチの孫ですから宣言だと。 こういう考え自体が吐き気を催すほど嫌いなのだ。 内孫、外孫。孫に変わりないのに、差をつけるようなのは、本当、頭にくる。 だいたい、冗談じゃない。 困ったときになんの手伝いもしなかったくせに、 主張だけは一生前か、相方も義母の方を持つなら持てばいい。 ・・・私はこの瞬間に、これからこういうことには徹底抗戦することを決めた。 次の日、帰宅すると、 義母は私も、相方も、もちろん息子も綺麗さっぱり無視した。 最初は聞こえなかったのかな? と思ってもう一度大きな声で言った。 さすがは付き合いの長い相方、そこで気がついて私に合図を送ってきたが、 私だって馬鹿じゃあない。 宣戦布告を受け取った。 いい大人が、面白くないからと他人を無視する。 実家ではありえなかった事に、本当にビックリした。 イイ大人のすることだろうか、と思ったけど、 これがこの家のルールなら、やってやろうじゃんと逆に闘志が湧いてきた。 それから1週間。 徹底的に無視し返した。 やられたら、百倍にしてやり返す。 私が古式ユカシイお嫁さんと思ったら大間違いだ、 鬼嫁上等、舐めんなよ!!とばかりに、それはそれは徹底したものだった。 基本的には会わないように生活し、 遭遇しても顔も見なければ目も見ないし、挨拶も一切しなかった。 三月だというのに、家の空気は真冬よりも凍っていた。 私の態度は本当に冷たかったと思う。 実家の母や叔母も、「アンタが折れなきゃ・・・」と変な仲裁をしようとしたけど、 それも受け付けなかった。 私にとって、これが天下分け目の関が原だ。 今ここで引くことは簡単だけれど、 ここで引いたところで最終的には修復しようのない最終戦争の幕開けを待つだけ。 同居セイカツをする上で、私は絶対に引かない=負けないんだ、 ここを落としたら絶対に駄目なんだ!!という硬い決意があった。 終に、義母が折れた。 部屋にやってきて、塩らしく謝った。 今まで血の通った息子達なら、「無視」は通用したかもしれないが、 赤の他人の息子の妻には、決して通用しないどころか火に油ということを 彼女も学習したようだし、 ここで嫁姑戦争の終戦合意が締結されたのです。 ちなみに、2005年3月現在、第二次嫁姑戦争は勃発しておりません。 |